世の中は常にITによって、効率化が進んでいます。そして、それは常に陳腐化を繰り返し、入れ替わって行きます。
それを提供された市場は、止まることのない効率化を永遠に続けることになります。では、そのたゆまぬ効率化で、人は幸せになって行ったでしょうか?
実は、便利と幸せの取り違えをしているのではないかと思います。新たなソフトやアプリ、システムなどが出てきた時、人は一瞬、こう思います。効率化=楽になる。
しかし、現実は効率化して生まれた余剰時間に、更なる仕事が強制的に入って来ます。何故なら、ライバル他社も同時期に同じ効率化システムを導入すれば、そこに生まれた時間を更なる生産の時間に充てるため、24時間と制約が決まっているので、労働の濃密さは増して行くことになるからです。
効率化=幸せ、は相反の関係になってしまうのです。効率化は永遠に進み、人は激務、長時間労働となってしまいました。
会社では、折角覚えたソフトやアプリ、システムが短期間でリニューアルして行きます。直ぐに順応できるのが益々、若年層社員となり、40代50代の社員はそのスピードに付いて行けなくなっています。
今は若年層だから順応できますが、後10年もすれば、付いて行けないグループに確実に入って行くことになります。
人は、本心から効率化を求めているのでしょうか?
これを「ニーズ無き効率化の提供」と定義付けたいと思います。