覚醒とは目をさますこと、目がさめること。または、比喩的に、誤りや迷いに気づくことです。一般的に「仕事が出来る人」は、仕事に対して覚醒をしているとも言えます。
誤りや迷いなく、本質的な仕事をしています。本質的な仕事とは、意味のある仕事であり、以下、P.F.ドラッカーが著書『マネジメント』の中で示した有名な「三人の石切り職人の話」にそれがよく表されています。
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旅人は、ある村を訪れました。
村では、三人の石切職人が、作業をしています。何やら、大きな建物を建築しているようです。
旅人は尋ねました。
「あなた方は、何をしているのですか?」
一人目の男は答えました。
「カネを稼いでいるんだよ」
二人目の男は答えました。
「私は、国一番の石切職人になるために、技術を磨いているのです」
三人目の男は答えました。
「私は、村人の皆さんの憩いの場所となる、教会を建築しているのです」
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これは女性哲学者、ハンナ・アーレントの「働くとは何か」の定義と見事に一致します。ハンナ・アーレントは、それを三段階に定義しました。
「活動」 他者とのコミュニケーションを図る(経営者)
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「仕事」 仕事に創意工夫を取り入れる(職人)
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「労働」 指示されたことだけをする(労働者)
仕事の覚醒とは、仕事から活動に思考が変わる時です。その仕事の意味を知り、それに沿って仕事を進める思考とも言えます。
活動の「他者とのコミュニケーション」とは、全体利益を目的とした考え方でもあり、近江商人の「三方よし」も、この考えに通じます。
ただ、日常の仕事の中で、意外と厄介なのが「仕事」レベルの人ではないでしょうか。
「自分は間違っていない、正しい」という意識が強い職人タイプの人です。
全体が見えていないので、悪気なく全体利益を損なう発言や行動が多くなります。仕事をする前から指示に対して、「それで成果が出なかったら、どうするんですか!」と聞いてくることもあります。
労働は作業であり、作業は成果が見えています。しかし、仕事は労働と違い、成果を出すためのトライであって、成果が保証された仕事など存在しないのです。
仕事思考の人は、自分は無駄な仕事をしたくない、という自分思考が強い為、全体利益に向かってのトライ、という意識が、どうしても薄くなります。
全体利益とは、決して会社の利益だけのことではありません。そこには、お客様の利益も当然、含まれています。
お客様の利益を理解した者が、仕事の覚醒領域へと入って行くのではないでしょうか。